捨てない生き方
我が家の別宅にはガラクタが沢山ある、捨てられないものが山ほど、この本に出会い人生上り坂の時は断捨離も必要しかし下り坂にくれば生きた証として記憶に残るものは捨てなくて人生を振り返る糧にしたらいいとの事、共感出来る本でした。
五木寛之 著
捨てない生き方
モノが捨てられないー それもまたいいではないか。
「捨てる時代」に一石を投じる、著者渾身の書下ろし!
最近、いわゆる「断捨離ブーム」が再燃したような気がします。暮らしの簡素化がいろいろなところで盛んに叫ばれているのはコロナの影響かもしれません。
ステイホームで不要不急の外出はしない。人と会わない。身のまわりを飾る必要もなくなってシンプルな生活が日常化すれば、モノに囲まれた今までの暮らしが滑稽にさえ感じられてくるのかもしれません。
「不要不急なモノは捨ててしまえ」という衝動に駆られても不思議ではありません。
ぼくは、ひねくれた人間です。流行に逆らうことにひそかな生き甲斐を感じてきたようなところがあります。
表面的には時流に追従しているふりをして、心のなかではそれを演じている自分を面白がっている、そんなねじれた子供でした。
いまもその性格のねじれは、改まるどころか年とともに強まってきたらしい。
「不要不急」という表現に、おや、と思うのです。
必要を満たすだけで、人は生きていけるのでしょうか。
そもそもこの地球において、私たち人間こそが「不要不急」な存在なのではないか──。
しかし、不要不急な人間にも生きる意味があるとすれば、不要不急なモノたちにも断捨離されない理由があるはずです。(「まえがき」より)
著者自身の「捨てない生活」から、仏教の「捨てる思想/捨てない思想」、「この国が捨ててきたもの」までを語り、モノを捨てることがブームとなっている現代社会に一石を投じます。
人生の後半生は、モノに宿った【記憶】とともに生きる黄金の時代なのです!
●ふえゆくモノたちと、どう暮らしていくか
●シンプルライフにひそむ「空虚さ」
●モノは「記憶」を呼び覚ます装置である
●「ガラクタ」は孤独な私たちの友
●生き生きと老いていく
●人づき合いは浅く、そして長く
●法然と親鸞が捨てようとしたもの
●過去を振り返ってこそ、文明は成熟する etc.
2022年6月29日水曜日
2022年6月28日火曜日
2022年6月27日月曜日
2022年6月26日日曜日
豊田市水源情報
豊田市水源情報
明治用水:自動車産業中心の工業用水と東洋のデンマーク安城市の野菜、米等大規模栽培をしている地域へ多量の水の供給をしていた矢作川水源 水漏れを起こし現在修復中
☆写真上側(西、右岸)へ土嚢を並べて、道水路を作り、取水、→工業用水、農業用水もほぼ漏水前の送水能力に戻りました。
☆漏れ部分(写真下側、左岸、東側)→周りを土嚢で囲って(水を排除)漏れ穴の調査、対策、これから先、他の部位も問題ないか堰のコンクリート部分を調査されると思われます。
☆ここで巨大なクレーンが何台も活躍している姿には、流石日本の力だと感嘆しております。
豊田市知人より
2022年6月25日土曜日
2022年6月24日金曜日
Googleグルグル
家の裏にGoogleマップのリサーチ車が迷い込んできました。私有地の道なので裏のオッチャンに引き返す様促されていました。もしここも撮影されていたらGoogle Earthストリートビューでうちの裏も覗けるかも
核兵器禁止条約機構締約国会議
核兵器禁止条約機構締約国会議が始まり、国連事務総長から広島、長崎の原爆被害の怖さが薄れているとの演説があった、今ロシアがウクライナに侵攻しロシアの大統領プーチンは核兵器の使用可能性を盾に西側諸国を脅しながら侵攻は続いている、停戦合意には程遠い様相でまさに今、核廃止に向けこの核兵器禁止条約機構が協議し核兵器廃絶に各国の意見をまとめ核兵器廃絶に動いて欲しい、しかし核保有国とその核の傘下にあるNATOをはじめ大国の未参加がなんとも腹立たしい、特に唯一原爆被害国日本がオブザーバーでの参加もしていないのは情け無い、核被害を受けた方々に申し訳ない。率先して核廃絶を唱える国それが日本ではないのか。