箱根駅伝では「山の神」と呼ばれ、実業団でも長らくマラソン、駅伝で活躍を続ける今井正人選手。昨年末、NumberPREMIERの動画でのロングインタビューに応じてくれた。関門タイムに届かず途中でレースを終えた10月のMGC後、「その後」を明らかにしていなかった39歳のランナーは何を考えているのか。迷い、苦しみながらも走り続ける男の75分のトーク、その一部を紹介する。「もう地獄とは言わないですけど、ズブズブだったと思います。自分では大変だと思って無かったんですけど、今思うとハマっていたな、と。沼でしたね。抜けれなかった。2年、3年と」
箱根駅伝の総合優勝、5区山上りでの衝撃な区間新記録で大きな注目を浴びた今井正人。だが、今井のマラソンランナーとしての道のりは、箱根の山のように大きな起伏があった。
2008年の初マラソンから「サブ10」(2時間10分切り)までには8本のレースと5年半の月日を要すなど苦労を重ねた。だが、そこできっかけを掴むと、2015年東京マラソンでは日本歴代6位(当時)の2時間7分39秒で走り、見事に世界陸上北京の代表を掴んだ。その走りを目撃した際には、これからは今井が日本のマラソンを牽引していくかと思われた。
ただ、無念の髄膜炎で世界陸上を欠場。そこからは再び長いトンネルに入ってしまった。冒頭で紹介した「沼」と本人が語ったのは、この負のスパイラルに陥っていた2015年から2、3年を振り返った時の言葉だ。
「2015年の東京マラソンまでの2、3年というのは、競技者として平常心というか、流れるように練習をしていた。当たり前のことを、当たり前のようにこなせていた時期です。いい状態? そうですね、それにいい状況だったと思います。ただ、そのあと病気で世界選手権に出れなくて…人間どうしても、タイムが良かった頃の自分と比較して、当時の状態を追い求めてしまった。そこで沼にハマっていったような自分がいました」
だが、山の神は無事に「沼」からの帰還を果たす。
37歳で迎えた2022年の大阪マラソン。自己2番目のタイムとなる2時間8分12秒で走り、6位。星岳、山下一貴らマラソン経験の少ない若手が躍進する中で存在感を放ち、パリ五輪代表の座をかけたMGCの出場権を掴んだのだ。
「正解を見つけにいって、冒険している感じ」
このマラソンを今井はこう振り返る。
「自信を取り戻すきっかけになりました。そこまで競技者、プロ意識を持っている人間として、試合で先頭でゴールするというレベルでできていなかったので、大阪のちょうど1年前に監督とも話をして“節目”になると覚悟をしていました。だから、今までの陸上人生の全てを出し切りたいな、と。だからあっという間でしたね。いい集中力だったし、何より自分自身に集中できていました。それに、そういう自分でいられたら勝負できるんだな、というのを再確認できたのが嬉しかったです」
起伏を乗り越え、結果を残してきた今井が42.195kmを走る「マラソン」という競技をどう捉えているのか。練習、メンタル、補給。さまざまな面で質問を重ねていくと、マラソンは「わからないから楽しい」という言葉が返ってきた。
「正解を見つけにいって、冒険している感じで楽しいです。すぐに正解を見つけてしまったら、次が頑張れないじゃないですか。あれでもない、これでもないともがいたり、ちょっと正解のようなものが見えてきたら快感を覚えたり」
今井は、マラソンという何が正解で、何がゴールへの近道かわからない、いわば「ブラックボックス」のような競技の奥深くを、長い時間をかけて冒険しているのだ。
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