地域で知り合った沖縄出身陶芸家のchiさんと言う方が昨年亡くなり沖縄まで法要に出かけそのあと、沖縄土産をお配りしに共通の知人さん宅へ伺い、お宅にお邪魔させていただきました。その際、 chiさんの作品であるコーヒーカップや茶碗で、コーヒーやお茶をいただきながら、作品に描かれた絵柄の話になりました。絵柄を描く際の手本や、山野草の詳細を相談されていた方がいるとのことで、その方の図鑑を見せていただきました。
そして、その図鑑の著者、つまり相談されていた方の話になり、詳しく聞いてみると、なんと中学校時代の理科の先生、益村先生であることがわかり、大変驚きました。あの中学時代の益村先生が、花の図鑑を出されていた学者先生だったとは。そして、そんな著名な方とchiさんが繋がりを持っていたことにも驚きました。そんなこととはつゆ知らず――もっと早く知っていれば、一緒に山歩きでもお願いできたのに、と悔やまれます。
早速注文した『九州の花図鑑』と、『雑草にも名前がある』という自伝が届き、読み始めています。なんとも面白い本で、著者が地元出身ということもあり、地域名が次々と登場し、非常に親近感が湧きます。中学校は母校ではありませんが、隣の羽犬塚中学校だと思われます。高校は近くの八女高の前身である八女中、大学は、私事ですが、若い頃にその大学の留学生とクラブを作って時々出入りしていた福岡教育大学です。教員としての初任地が飯塚中で、飯塚も私の住んでいた所の隣町でした。
五木寛之の『青春の門』や炭鉱、飯塚の話、そして頻繁に登場する山野草の名前。どれも興味深く、草花の名前が出てくるたびに、先生の花図鑑で調べながら読むと、意外にも身近な草花だったりして、とても面白い読み方ができました。
本の内容も、身近な話から始まり、氷河期や平安時代の短歌、さらには日露戦争や中東問題まで、さまざまな話題に広がっており、素晴らしい本に出会えたことに感動しています。一気に読むのがもったいなくて、今はあえて途中で読み止めているところです。
自分の母校にこのような先生がおられたこと、それを知らずに過ごしていたことを、今更ながらとても残念に思っています。なんと五木寛之と同い年。