先月耕したのに雨が降り耕した後の草が息を吹き返し又草だらけ、夕方夕立が始まり暑い日照りよりいいとトラクターを引っ張り出し耕運、草が復活しないように今日は2回耕しました。周りの畦草は近所のお兄ちゃんを呼んで刈って貰いました。田んぼはぬかるみでトラクターのローターは草と泥が絡み合い後片付けが大変です。明日やります。
2025年8月17日日曜日
シマヘビの確認
今日はクリーン作戦で地域のゴミ拾いでした、短時間で終わりましたが、シャツを着替えるくらいの汗、珍しかったのはシマヘビを見かけました。もう数年見かけてなかったのです。住宅が造成され道や河川の整備ですっかり生態系が変わり自然がなくなっていたのでちょっとだけホッとしました。
裏の靏野さんの田んぼをスイスイと泳いでました。
写真は撮れませんでした、これは以前庭先に出た時のもの
2025年8月16日土曜日
2025年8月15日金曜日
オイルショック
今日は川水浴に出かけちょっとした高さから飛び降りて脚がガクン、イャーこれはショック、
強いオイルショックを受けました。情けないです。
筋トレが役に立って無い、やり方を変えなくては先月の韓国でも感じましたが脚の筋トレ頑張らないと。
2025年8月14日木曜日
父の従兄弟がアンパンマンの友達
幼い頃うちに遊びに来ていた昌勝おじさん、無口で色々な話はしなかったんですがまさかやなせたかしさんと軍友だったとは、NHKドラマアンパン見ていなかったので改めて見てみようと思います。
漫画家のやなせたかしさん夫婦がモデルのNHK連続テレビ小説「あんぱん」を、特別な思いで見る人が福岡県筑後市にいる。水田天満宮宮司、宮原恭盛(たかもり)さん(77)。父の故昌勝さんは戦時中、やなせさんと同じ連隊に属し、記憶をほぼ語ることなく逝った。だがドラマを機に父の戦中の記録をたどると、2人は寄り添うような足跡を残していた。恭盛さんは「やなせさんが父の姿を現代に浮かび上がらせてくれた」と話す。
「あ、おやじだ」。今春、恭盛さんはテレビ画面に目が留まった。あんぱんの放送を前にした特集番組。映し出された写真に、従軍時代のやなせさんと並んで昌勝さんの姿があった。
陸軍中尉だった父が生前、珍しく口にした戦中の話がやなせさんとの関係だった。代表作のアンパンマンに触れ「同じ部隊で漫画ばかり描いている男だった」とぽつり。「つらい記憶の中で唯一喜ばしい話だったのでは」と恭盛さん。ドラマの場面が戦時に入ると「同じ場所にいた父のことを知りたい」と心が動いた。
福岡県庁で昌勝さんの軍歴資料を取得。やなせさんの伝記と付き合わせると、2人の接点が次々と浮かんできた。昌勝さんは23歳だった1939年、小倉市(現北九州市)の野戦重砲兵第6連隊に入営。40年に現役満了したがすぐに臨時召集された。その2カ月後の41年、当時21歳のやなせさんが同じ連隊に入った。
恭盛さんがテレビで見た写真は、この年の10月中旬の撮影だ。記者が「やなせたかし記念館」(高知県香美市)から写真の画像データを提供してもらうと、撮影時期の記述があった。場所は「日出生台高原」と記され、大分県内の陸軍訓練場での1枚とみられる。
44年以降、2人の足跡はほぼ一致する。7月に門司港から中国大陸へ向かい、釜山を経て上海付近で警備に従事。福州(現福建省福州市)では米軍上陸に備えて現地を占領する「福州攻略戦」に加わっている。
「ドラマでも描かれた、あの行軍の中に父もいたと思うと胸が痛い」。45年5月には対米決戦のため上海に戦力を集める一環で、陸路で再び上海を目指す。何度も中国軍に襲撃され、仲間が次々と命を落とした。
2カ月後、上海近郊に到着し終戦。46年1月に復員船で日本に向かい、長崎・佐世保港に着いた。戻った古里で2人を待っていたのは、それぞれの弟が戦死したという知らせだった。
恭盛さんの弟、猿渡(さわたり)昌盛さん(72)=東京都=は約20年前、やなせさんが手がけたミュージカルの会場で本人と対面した。「あの宮原中尉の息子さんですか」と感激されたという。その後は会えず、やなせさんは2013年に死去。猿渡さんは「想像通りの気さくな人。従軍中の父の話を聞きたかった」と悔やむ。
昌勝さんは戦後、水田天満宮の宮司を継ぎ、保育施設を設けるなど地域の発展に尽くした。1992年に亡くなった後、現宮司の恭盛さんは縁結びの「恋木神社」と称して境内をピンク色に彩り、国内外から若い参拝客が相次ぐ。
「訪れる人たちはすごく朗らかな表情を見せてくれる。青春時代にあれだけすさんだ戦争時代を過ごした父は、こうした平和な風景を喜んでくれるはずだ」
(小川俊一)
2025年8月13日水曜日
8月4日目ジョギング
まだまだ目標値に達してません、明日から3日ほどジョギング出来無さそうです、頑張って10kmジョギングして来ました。後半はかなりの日々距離のジョギングが待ってます。今日は日陰で日が当たらない中之島公園をジョギングしてみました。
2025年8月12日火曜日
8月3回目ジョグ
九州は昨日まで線状降水帯で大雨でした。幸いこちらは小雨で助かりました。おかげで少し涼しくなりました。明日から又暑い日が戻ってくるそうです、まだまだ暑い日が続きます、ジョギング出来る日はなるべく行かなくては。今日は途中川沿いのベンチで寝そべり空を眺めて休憩
同級生の素晴らしい偉業
同級生のグループラインで線状降水帯の被害の確認をしていると元生徒会長だったN君からさらりと凄い事を書かれてびっくり、彼は静岡で精神科の医師で開業している。40年の医師生活の集大成で学会に論文を提出したそうです、それがとてつもない偉業でまだ学会審議査読中らしいが認められたら世界的に大偉業です。PTSDの回復に繋がる薬を発見した認証事例の論文らしい、これが認められれば沢山のPTSD患者に朗報です。来年3月には結果が出るとの事、楽しみです。6月には黄綬褒章貰った友人もいてあの時のクラスは優秀な人ばかりで誇り高い同級生達です。
2025年8月11日月曜日
降水帯の合間にジョギング
今日は朝から雨が降りとてもジョギングすることは出来ないと思ってました。夕方小雨になった合間を狙って行って来ました、あちこち水溜りを避けなんとか9km、傘を持って行ったんですが途中から止みました。ところが腹が減って燃料切れ、身体に力が入らなくて川の駅、恋ボタルでパンとジュースを補給し完走、いつもだと飴玉を持って行くのに忘れてしまいました。矢部川は当然ですが増水してました。ダムの貯水率が低かったのでこれで回復かな?
被災された地方にはもうし訳ないですが恵みの雨でもありました。
2025年8月10日日曜日
朝から雨
今日は資源ごみ出しと区のクリーン作戦、田んぼ畦草刈りを予定してましたが雨で欠席しました。
12時から9月のデイサービスで予定している落語助助さんとの打ち合わせ、簡単な場所確認程度に思ってましたが台座の高さや照明、マイク位置、などなどメジャー迄持参で細かいところまで確認されていました。当日楽しみです。
2025年8月9日土曜日
8月初ジョグ
今日は元職場の後輩と奥さんが遊びに来てくれました。彼らは知識人なので色々な話題でお話が出来楽しい時間が過ぎました。その後小雨が降っていましたが今月まだ1度もジョギングしていない為、多少の痛風の痛さを押して行って来ました。雨は止みなんとか8kmジョギング、もう8月も中旬に入ります、これ以上休むと月目標が達成出来なくなります。限界です。ここからぼちぼちと挽回したいです。
2025年8月8日金曜日
空人、 明日の記憶
戦争映画は無惨なのであまり見ない様にしてますが終戦から80年 8月8日と言う日に反戦の気持ちを込めて見ています。今TV番組でも前後80年記念番組をやっている為中断しています。
昨晩は遅く渡辺謙の明日の記憶と言うのを見ました。
若年性アルツハイマーのお話、老化の中で起きる可能性のあるアルツハイマー症、働き盛りに起きる辛い病気、自分にも来る可能性のある病状でなんとも言えない映画でした。今まで健康に生きてこられたことに感謝。在職中、鬱を発症した時少しだけ記憶が薄れた事を経験した事があり、あの時の感情が蘇りました。
1945年、戦況悪化に耐え切れず若き勝雄は特攻攻撃隊に志願した。勝雄は既に将来の展望も死への恐れもなかったが、勝雄を弟のように可愛がる飛曹長の阿部と親交を育むうち、写真でしか知らぬ阿部の妹、静子への恋慕が芽生え始め、死へと急ぐ刹那的な感情を引き止めたのだった。いよいよ出撃命令が下されたある日、高熱を出してしまった勝雄は出撃を断念したが、その自分の代わりに阿部が出撃する事になる。そして阿部が帰らぬまま終戦を迎えたのだった。あれから70年。余命半年と宣告された勝雄は罪滅ぼしにと阿部の菩提寺、山形県天童市の若松寺へ向かう。そこで偶然、静子の娘、紀和に出逢い静子が既に他界した事を知る。勝雄は罪の意識に苛まれこの寺の風習「むかさり」を行う事を決意したのだった・・・
2025年8月7日木曜日
高倉健シリーズ
久しぶりに時間があり映画を見ようと中々これを見ようと思う作品が無く高倉健の映画を立て続けに2本見てしまった。
1本目が駅、倍賞千恵子との共演高倉健は刑事役だが事件事にストーリーが分かれていてストーリーが分断している感があった、タイトルからぽっぽやをイメージしていたので見る前と大分違ってました。
オリンピック射撃とマラソンの円谷選手の話が最初にあるのでその流れがあると思いきやその話は触りだけでした。
オリンピックの射撃選手であり、警察官でもある一人の男と、事件を通して彼の心を通り過ぎていく女たちを描く。脚本は「冬の華」の倉本聰、監督は「仕掛人梅安」の降旗康男、撮影は「復活の日」の木村大作がそれぞれ担当。
次の2本目はあ、うん。坂東英二との共演坂東英二は自分の高校の卒業式に講演に来てくれたのでみました、中々俳優さんで頑張っておられた。内容は無法松の一生や俺たちの旅にニュアンスが似ていた、大人のプラトニックラブ、と親友の繋がり。
故・向田邦子の代表作を高倉健主演で映画化。太平洋戦争直前の東京を舞台に、友情で結ばれた門倉と水田と、門倉が秘めたる思慕を寄せる水田の妻の3人の人間模様を描く。3人の微妙なバランス関係を、降旗監督が巧みにさばいている。17年ぶりにスクリーンに復帰した富司純子(旧・藤純子)の清楚な魅力が光る。
民児委員推薦委員会
民児委員推薦委員会の役員に任命されました。
民児委員がこんな委員会で審査されているとは知りませんでした。この委員会に民児委員の自分が入るのもどうかとも思いますが変な審議をしていないか監視する為かなと受け止め出席しましたが来期の新規40名ほど名簿だけで審査はちょっと無理があります。なりて不足の為年齢などの基準も例外が認められているので実質行政区長の選出で決まる様です。
区長の推薦書を受理した後推薦委員会で審査されて県の審査通過後、厚労省に提案し認定されたら厚労大臣から委嘱される。このシステムでは審査は刑罰位しか審査できないでしょうね。
委員は市会議員、区長会、役所、社協、校長会、児童福祉会、民児委員等から代表が各1名選出され市長から委嘱される。
2025年8月6日水曜日
久しぶりに田んぼを耕す
夕方から日が落ちて行って来ました、田んぼ鋤き
このまま放置しておけばトラクターの刃が立たなくなり全て草刈り機で切る事になりかねません、それは大変です、今週は曇りの日が続きそうで気温は下がりませんがチャンスです、足は痛いですが痛み止めが効いてるので行ってきました、耕すと言うより草を倒した程度です。又この上からもう1回耕さなければいけないでしょうね。
2025年8月5日火曜日
田んぼも畑も草だらけ
毎日の暑さで草刈りに行く気力が無く田んぼも畑も草だらけ昨日は半月振りの雨でトラクター出して耕したいのですがいかんせん痛風の為足が痛い、農作業には勿体ない天気です。草だらけの畑にきゅうり、ウリ、カボチャが実ってました。草を掻き分け収穫、ところが2個なっていた瓜が1個無いんです、近くを探すとなんと何者かが割って食べているんです。多分カラスかな?くちばしで削った跡があります。熟れるまで待っていたら奴らの方が早かった。
2025年8月4日月曜日
市福祉策定委員会
市民への福祉アンケートを作る為その内容を検討する会議でした。色々な団体の代表が集まりあーでも無いこーでも無いと言う会議ほとんど文章や意味、など文系さん達の質疑で苦手な分野でした。
18時から始まり20時過ぎても終わらず市職員さん達も残業、市のビルも施錠され街灯は消えてしまった。昨年からこの委員会も複数の職員は代わり様変わり。今日意見した事が採用されるかどうかは8月アンケートが出来上がってのお楽しみです。
民生委員も長年勤めていると沢山の委員会や協議会にお呼びがかかり今週はもう一件推薦委員会が予定されてます。
2025年8月3日日曜日
行政区組長会
年3回の組長運営会議
行政区の状況、行事報告と予定確認特段変わった事
は無い会議でした、実は民児委員ブロック会議からはたまた痛風が芽を出して歩くのにも痛みが出ています。ほんのちょっとしかビール飲まなかったのに
最近直ぐに反応します、若返って来たのかな?と言う事で欠席しようかなとも思ったのですが行って良かったソフトバンクのユニフォームが当たりました。
2025年8月2日土曜日
民児委員定例会
8月の定例会研修報告が予定されていて10分以上の報告を考えていたのですが今日は講演が2つありカットされました。それは肩の荷が降りていいんですが報告者の私に何も相談無しでカットされた事に腹が立ちます。失礼にも程がある。何かで仕返ししてやります。私でしたので何も言わなかったですが大問題ですよね〜
2025年8月1日金曜日
早いものでもう8月や!
7月25日から通っているプレゼンス電子治療院が8月14日で終了が決まりました。7月の末週4日間で新規治療者を120名集めないと終了の約束でした、昨日2人紹介したんですが2人程足りませんでした。残念です。後13日通って体調が良くなるか頑張ってみます。