幼い頃うちに遊びに来ていた昌勝おじさん、無口で色々な話はしなかったんですがまさかやなせたかしさんと軍友だったとは、NHKドラマアンパン見ていなかったので改めて見てみようと思います。
漫画家のやなせたかしさん夫婦がモデルのNHK連続テレビ小説「あんぱん」を、特別な思いで見る人が福岡県筑後市にいる。水田天満宮宮司、宮原恭盛(たかもり)さん(77)。父の故昌勝さんは戦時中、やなせさんと同じ連隊に属し、記憶をほぼ語ることなく逝った。だがドラマを機に父の戦中の記録をたどると、2人は寄り添うような足跡を残していた。恭盛さんは「やなせさんが父の姿を現代に浮かび上がらせてくれた」と話す。
「あ、おやじだ」。今春、恭盛さんはテレビ画面に目が留まった。あんぱんの放送を前にした特集番組。映し出された写真に、従軍時代のやなせさんと並んで昌勝さんの姿があった。
陸軍中尉だった父が生前、珍しく口にした戦中の話がやなせさんとの関係だった。代表作のアンパンマンに触れ「同じ部隊で漫画ばかり描いている男だった」とぽつり。「つらい記憶の中で唯一喜ばしい話だったのでは」と恭盛さん。ドラマの場面が戦時に入ると「同じ場所にいた父のことを知りたい」と心が動いた。
福岡県庁で昌勝さんの軍歴資料を取得。やなせさんの伝記と付き合わせると、2人の接点が次々と浮かんできた。昌勝さんは23歳だった1939年、小倉市(現北九州市)の野戦重砲兵第6連隊に入営。40年に現役満了したがすぐに臨時召集された。その2カ月後の41年、当時21歳のやなせさんが同じ連隊に入った。
恭盛さんがテレビで見た写真は、この年の10月中旬の撮影だ。記者が「やなせたかし記念館」(高知県香美市)から写真の画像データを提供してもらうと、撮影時期の記述があった。場所は「日出生台高原」と記され、大分県内の陸軍訓練場での1枚とみられる。
44年以降、2人の足跡はほぼ一致する。7月に門司港から中国大陸へ向かい、釜山を経て上海付近で警備に従事。福州(現福建省福州市)では米軍上陸に備えて現地を占領する「福州攻略戦」に加わっている。
「ドラマでも描かれた、あの行軍の中に父もいたと思うと胸が痛い」。45年5月には対米決戦のため上海に戦力を集める一環で、陸路で再び上海を目指す。何度も中国軍に襲撃され、仲間が次々と命を落とした。
2カ月後、上海近郊に到着し終戦。46年1月に復員船で日本に向かい、長崎・佐世保港に着いた。戻った古里で2人を待っていたのは、それぞれの弟が戦死したという知らせだった。
恭盛さんの弟、猿渡(さわたり)昌盛さん(72)=東京都=は約20年前、やなせさんが手がけたミュージカルの会場で本人と対面した。「あの宮原中尉の息子さんですか」と感激されたという。その後は会えず、やなせさんは2013年に死去。猿渡さんは「想像通りの気さくな人。従軍中の父の話を聞きたかった」と悔やむ。
昌勝さんは戦後、水田天満宮の宮司を継ぎ、保育施設を設けるなど地域の発展に尽くした。1992年に亡くなった後、現宮司の恭盛さんは縁結びの「恋木神社」と称して境内をピンク色に彩り、国内外から若い参拝客が相次ぐ。
「訪れる人たちはすごく朗らかな表情を見せてくれる。青春時代にあれだけすさんだ戦争時代を過ごした父は、こうした平和な風景を喜んでくれるはずだ」
(小川俊一)
0 件のコメント:
コメントを投稿