ブログ アーカイブ

2025年6月17日火曜日

6月も半ば過ぎました

 今月は全然ジョギング出来てません、まだ足の腫れが引かんのです。 食事はベジタリアンかビーガンかと言うくらい自給自足の野菜中心でバッタになった気分です。



今日は社会福祉協議会の評議会、久しぶりの社会復帰です。

4億程の決算審議、今回の評議会が今期評議員任期最後でした。内容はさっぱり分からないことだらけです、しかし来期も再任されそうです。議長だけにはならない様にしなければ。

2025年6月16日月曜日

田植えの季節

 裏の田んぼも田植えが始まりました。根っからの百姓のバービー、親戚でもなんでもないのに朝からウキウキして眺めています。何かしないといけないと身体に染み付いているのでしょうね。夜になるとビッキの鳴き声が聞こえて田植えの季節を感じます。

数年前は近所のとっしゃんから教えて貰い田植えしたんですけどもうそのとっしゃんも居なくなって。脱穀機も手放した。世間は米不足又始めたいですけどね〜 

畑できゅうりと茄子の収穫です、ちょっと変な○ンポコ茄子が出来ました。







2025年6月15日日曜日

父の日祝砲


 最近ようやく父の日が認知され始めて来ました、今までこどもの日、母の日が目立ち父の日は陰に隠れた記念日でした。昨年あたりから息子達からもちらほらプレゼントが来る様になって来ました。

大谷選手も10試合振り自ら父の日祝砲24号HRを打ちました。追伸25号も追加祝砲。

Thank you for the Father's Day gift, for taking care of my health, and thank you for your kindness to wife ❣️



M君退職祝い



 痛風痛み止めが効くレベルまでに回復し、なんとか動ける様になり、博多迄出かけて来ました。後輩達が順番ですが、そろそろ定年退職して行きます、皆んな早く辞めたいと口を揃えて言いますが勤められ、他にやる事無かったら居れるだけ会社に居なさいと忠告しています。ポッカリ仕事が無くて暇人になるとよほどしっかりして無いと生きる意欲が無くなるからね。 幸い皆んな趣味ややる事ある様ですが仕事しながら出来る事なら併用した方がいいですよ。


昨晩は又ご馳走とお酒を前に話も弾み大変楽しゅうございました、2時間がアットいう間に過ぎました。

話に夢中で写真撮るのも忘れてしまいました〜。残念!

いい仲間がいて喜びです。お酒、料理を前に自重したのが残念でした。

2025年6月14日土曜日

梅雨真っ盛り

 銀梅花、紫陽花を生ける、毎日雨が降り心も湿りがち、今日は後輩の退職祝い、欠席通知をしてましたがなんとか行けそうです。びっこ引きながら博多迄出かけます。今日会うのですが知人その姪っ子がミスコンで優勝です。素晴らしい👍湿りがちな中にGood Newsです。




2025年6月13日金曜日

我が家のファミリーヒストリー




 10年来会って無かった従兄弟より先月電話があり、家系図を見直しと最新版に書き替えてるとの事、

昨日又電話あって明日居ますかとの事。選挙も近いし推薦者の支援の話かな?と疑ってましたが家系図の最新版の聞き込みでした。 母方の家系図です、父方は後継者が娘ばかりで古文書で養子に出た私が預かってます。古文書なので読めずにそのままにしてます。 母方は下記の様です。





雨森家元祖墓所

雨森氏の由来

伝記によれば、越州(福井市)木田の長者に留美酸の一人の娘

があり、京都に上り歳人少将藤原高良(鎌足の後裔、高藤より七代子孫)に仕え、男の子一人をもうけた(応徳二年一〇八五)。名を三王丸という。ところが三才になってもひと言も言葉を話せない。

そのため高良の子ではないとの噂が立ち、やむなく三王丸を連れ母と子は故郷の木田へ帰ることとなった。

日を重ねてようやく湖北の富永の庄にたどり着いた時、小雪まし

りのしぐれが激しくなり、傍らの森陰に雨宿りしつつ田君が

東風しぐれ木陰たよりの脇桃

枝吹き分けて雨のもれける

と詠まれると、三王丸は悠然として初めて「アメモル」と言葉を口にした。母君とお付きの人々は雨雪の吹きすさぶのを忘れて喜び合った。そして村人の好意を頼りにこの地に留まる決心をして三王丸

の名を雨森三左衛門良治と改めた。飛講雨森姓の始祖である。

良治は、二十四才の時には、内影衛誌の命を仰せつけられている。

年は久寿三年(一ー五六)。享年七十二歳・

正面に向って右端が、雨森家元祖三左衛門良治の供養塔である。

雨森氏は、赤尾、磯野、井口の三氏と共に湖北の四家として天下に名を知られ、戦国時代には小谷城主浅井氏三代に仕えて赤尾氏、

海北氏と共に浅井家海雨赤の三傑とも称せられた。しかし小谷城の落城にともない当時七十二騎あった雨森一族の武将のほとんどが討死したという。それら武士の墓もこの中にあるのかもしれない。

雨森家菩提寺について

雨森家の菩提寺は、部

中本山である漁寿院(余呉町部

t)である。

森一門会 代表者雨森正高


不思議な縁、実は工業高校3年夏休みに徒歩で琵琶湖周回キャンプを友人と三人で3〜4泊しながらテント泊した思い出があるのですがこの雨森墓所付近も知らずに通っているのです。知っていればお参りしていたのになー。


落花生の苗植え

 痛風の痛みと仕事延期で落ち込んでいたところ昨日○秘書?から元気を貰えたおかげで歩く事が出来る様になりました。早速落花生の苗植えと野菜の収穫、クラブ活動費の準備、スッポンの餌買い出しなどなど動き回りました、久しぶりの街中は今日、年金日でおじいちゃんおばあちゃんが溢れていて活気に満ちています。しかし蒸し暑いですね〜